万葉集を読む

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柿本人麻呂歌集の相聞叙景歌(万葉集を読む)


万葉集には、柿本人麻呂作と明記されたもの、長歌十九首、短歌七十五首のほか、柿本人麻呂歌集から採られたものが、三百六十首ばかりある。人麻呂歌集中の作品は、人麻呂が自らの作家ノートとして作っていたもののなかから、万葉集の編者が取り上げたのだと考えられている。

大部分は他者の作品を、人麻呂が採集して記録したのだろうと思われるが、中には、歌いぶりが人麻呂を思わせ、人麻呂自身が作ったと思わせる作品も少なくない。

ここでは、そうした作品を取り上げて、鑑賞してみたいと思う。

万葉集巻七雑歌の部には、自然の事象をテーマにした歌が並べられている。叙景歌として分類されるものである。そのなかに、人麻呂歌集からとったものが幾つかある。

―雲を詠める
  穴師川(あなしかは)川波立ちぬ巻向(まきむく)の弓月が岳に雲居立つらし
  あしひきの山河(やまがは)の瀬の鳴るなべに弓月が岳に雲立ち渡る
―山を詠める
  鳴神の音のみ聞きし巻向の桧原(ひはら)の山を今日見つるかも
  三諸(みもろ)のその山並に子らが手を巻向山は続(つぎ)のよろしも
  吾(あ)が衣色に染めなむ味酒(うまさけ)三室の山は黄葉しにけり
―河を詠める
  巻向の穴師の川ゆ行く水の絶ゆること無くまたかへり見む
  ぬば玉の夜さり来れば巻向の川音(かはと)高しも嵐かも疾(と)き
―葉を詠める
  古にありけむ人も吾がごとか三輪の桧原(ひはら)に挿頭(かざし)折りけむ
  ゆく川の過ぎにし人の手折(たを)らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は

雲を詠める歌二首は、川が音高く流れるさまに対比させて、その川のほとりに聳えている山の端に雲の立つ様子を詠んだものである。自然の事象を雄大にとらえているとして、斉藤茂吉らアララギの歌人らが高く評価した。茂吉らは、これらの歌を人麻呂のものではないかと解釈した。

山を詠める以下も、自然をよくとらえておるとともに、山の二首目や、葉を詠んだものは、相聞の響きをも伴っている。ここから、これを相聞叙景歌とする見方も生まれた。

巻向は、人麻呂の愛人、軽の女がすんでいたところだ。人麻呂はこの女のために,優れた挽歌を残したが、これらの歌は、あるいは女の生前ともに過ごした折に詠った相聞歌であるのかもしれない。

人麻呂歌集から取られた歌は、巻八以後にも載せられている。そのうち、巻十にも人麻呂らしい歌がある。

  久かたの天の香具山この夕へ霞たなびく春立つらしも

香具山を遠望しつつ、夕べの霞が立つさまに春の気配を感じ取ったこの歌は、叙景歌としては万葉集の中でも最も有名になったものだ。茂吉は、人麻呂の作としては、いささか楽に作っているといっているが、きわめて自然で、佶屈がないともいっている。

  巻向(まきむく)の桧原に立てる春霞おほにし思(も)はばなづみ来めやも
  子らが手を巻向山に春されば木の葉しぬぎて霞たなびく

この二首も霞を詠いつつ、女性への思いを語る相聞の歌ともなっている。「おほにし思はば」には、霞のさかんなさまと、おろそかという二つの意味がかかっており、「あなたをおろそかに思っているなら、こんなに足繁くは通わないものです」と、女性に言い寄っているところだろう。

―冬の雑歌
  我が袖に霰たばしる巻き隠し消(け)たずてあらむ妹が見むため
  あしひきの山かも高き巻向の崖の小松にみ雪降りけり
  巻向の桧原もいまだ雲居ねば小松が末(うれ)ゆ沫雪流る
  あしひきの山道も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば

これらも、巻十雑歌の部に載っている作品群である。一つ目は、我が袖に降りかかった霰を、消さずにもっていって、是非彼女に見せたいものだと詠う。二つ目には、崖の「小松にみ雪降りけり」とあり、三つ目には、「小松が末ゆ沫雪流る」とあり、四つ目には、「山道も知らず」ほど雪が降り積もり、「枝もとをを」になっている様子が詠われている。いづれも、すぐれた叙景であるといえよう。しかも、叙景の背後に相聞の色を添え、歌に艶が生じている。

こんなところから、これらもまた、人麻呂自身の作である可能性が高い。






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