万葉集を読む

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恋の歌(相聞歌):万葉集を読む


万葉集には恋の歌が多い。それは、万葉の時代の人々が恋多き人だったことの反映のようなものである。つまり日本人は、大昔から恋心が豊かな人種だったわけである。なぜ万葉人はそんなに恋にこだわったのか。一つには、万葉人が本質的に色好みだったという事情もあろう。しかしそれ以上に重要なのは、万葉時代の男女のあり方である。万葉時代の婚姻形態は、妻訪婚といって、男が女の家に赴いて、一夜を一緒に過ごすという形が基本であった。これは、もっと昔の古代社会における家族関係の基本が女系家族だったことの名残と思われる。いづれにしても万葉の時代の男女は、いまの時代の男女のように、一軒の家で共同生活を営んでいたわけではなかったのである。そんなわけであるから、男女関係を強固なものに維持する為に、絶え間のないコミュニケーションが必要となった。歌はこのコミュニケーションのメディアとして発達したのである。

こんなわけであるから、万葉人達にとって歌は、生きていく上に必需的なものだった。歌を通じてたえずコミュニケーションをすることで、強固な人間関係を確立する。男女関係も例外ではなく、恋のなれそめも歌で始まり、愛情の確認も歌を通じてなされた。だから歌を歌いあやつることは、特に恋愛の場面では、決定的な意味を持った。歌がうまければ異性の愛を勝ち取ることができるし、また時に浮気をすることがあっても、歌の言葉の綾でごまかすことが出来た。歌を詠えない人は、こうした決定的な場面で何も出来ないということになる。それ故恋をする機会もなかったに違いない。ことほどさように万葉人にとっては、歌は決定的に重要な生活ツールだったのである。

その歌が恋を詠うことは、人間の本性上不可避なことである。それ故万葉集には、夥しい数の恋の歌が収められている。万葉集をひもとくと、巻によっておおよそ、編年体をとっているものと、テーマ別になっているものとに別れるが、後者における歌の分類は、これもまた恋の歌(相聞歌)とそれ以外の雑の歌に大別されるように、恋の歌が圧倒的な比率を占める。

万葉集における恋の歌は、ずばり恋の歌とは呼ばれず、相聞歌とか比喩歌とか呼ばれる。前者は文字通り男女が相聞する歌であるし、後者は物事によせて自分の恋の気持を詠ったものである。ここで万葉集中の恋の歌をおおまかに整理すると、巻二、巻四、巻九には相聞という形で、巻三、巻七には比喩歌という形で、巻八、巻十には季節ごとの相聞という形で分類されている。巻十一以降は、分類の基準が多少変化するが、恋の歌は相変わらず比重の高い割合を占める。

ここでは、主として巻一から巻十までの間に収められた恋の歌(相聞歌、比喩歌)から、情緒豊かなものを取り上げて鑑賞してみたい。まず巻一のみならず万葉集全体を飾る恋の歌として、額田王と大海人皇子(後の天武天皇)との間で交わされた有名な相聞歌を取り上げよう。

  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(20)
これは、天智天皇が蒲生野で狩を催したときに、額田王が作った歌だと詞書にある。趣旨は、紫草の生えるこの御料地を行きながら、あなたさまが私に袖を振っているところを、野守に見られてしまいますよと、というものだ。額田王の歌いかけている相手は、大海人の皇子、後の天武天皇だ。この大海人の皇子と額田王はもともと夫婦の関係で子どもまでできていたのだが、どういう事情からか、額田王は天智天皇にみそめられて、侍女(妻)になっていた。そういう関係の中で詠まれた歌である。

額田王のこの歌に対して大海人の皇子は次の歌を詠んで答えた。
  紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも(21)
紫の花のように美しく匂うお前を、もし憎いと思うのなら、人妻であるお前をこれほど恋うることがあろうか、という趣旨で、別れた妻に向かっていまだに愛しているよと伝えた歌である。この歌のやりとりを聞くと、権力者によって無理に引き離された男女の切ない思いが伝わってくる。

これらの歌から伝わってくるのは、額田王を囲んで天智天皇と大海人の皇子とが三角関係にあったということだ。その三角関係を天智天皇の立場から詠んだと思われる歌がある。巻一の次の歌だ。
  香具山は 畝火を惜しと 耳成と 相争ひき
  神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ
  うつせみも 妻を争ふらしき(13)
香具山が畝火をいとしく思って耳成と争った、(三角関係は)神代よりこうであったのだ、古がそうであったように、いまの世でも二人の男が一人の女をめぐって争うのだ、という趣旨だ。この歌には、別の解釈もあるのだが、一人の女をめぐる三角関係を詠ったものと考えれば、歌の情緒がより高まるように感じられる。

額田王をめぐる三角関係については、次の歌もそれにかかわりがあると思えなくもない。
   天皇内大臣藤原朝臣に詔して、春山万花の艶しきと、秋山千葉
   の彩れるとを競ひ憐れましめたまひし時に、額田王の、歌を
   以てこれを判めし歌
  冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 
  咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 
  草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 
  黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ歎く 
  そこし恨めし 秋山そ我は(16)
これは、天智天皇が額田王に向かって、春と秋の優劣を判じさせた歌だが、そこで言われている春と秋とは、自分と弟(大海人の皇子)をさしているとも考えられる。とすれば天智天皇は額田王に向かって、そのどちらが恋しいかとせまっているわけである。それに対して額田王は、一応秋(天智天皇)と答えているが、その答え方には逡巡のようなものがうかがえる。そこに我々現代人は、万葉の女心の一端を思い知るのである。





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