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額田王恋の歌


額田王は、万葉の女性歌人のなかでもひときわ光芒を放つ存在である。ただに女性らしき繊細さに溢れていたというにとどまらない。相聞歌における率直な感情の表出は、斬新なものであったし、また、当時はやりつつあった漢詩に対抗して、和歌にも叙景などの新しい要素を盛り込み、歌の世界を広げたともいわれる。北山茂夫は、彼女を評して、万葉の世紀の初期を代表する歌人であり、人麻呂、赤人へとつながる流れを用意したともいっている。

だが、多くの現代人にとっては、額田王といえば、恋多き女というイメージが強いのではないか。

そんな思い込みを助長するかのような相聞歌が、万葉集巻一の冒頭に近い部分に載せられている。

―天皇の蒲生野に遊猟(みかり)したまへる時、額田王のよみたまへる歌
  茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる

―皇太子の答へたまへる御歌 明日香宮ニ御宇シシ天皇
  紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾(あれ)恋ひめやも

―紀ニ曰ク、天皇七年丁卯夏五月五日、蒲生野ニ縦猟シタマフ。時ニ大皇弟諸王内臣及ビ群臣皆悉ク従ヘリ。

詞にあるとおり、これは天智天皇が群臣とともに蒲生野に狩をした時に、額田王と皇太子大海人皇子(天武天皇)との間に交わされた相聞歌である。恐らくは、皇子のほうから先にモーションを仕掛けたのであろう。額田王が、こんなところで袖などお振りになると、野守にみとがめられますよと、たしなめると、皇子のほうでは「紫のにほへる妹」を恋わずにはいられないといって返す。このやりとりが、狩の野を背景にした切ない恋のかけひきを感じさせる。

実は、この二人は若い頃に結婚し、子まで設けていた間柄なのである。だが、大海人の兄たる天智天皇が額田王を見初め、自分の妻にしてしまったため、二人は引き裂かれてしまった。そんな切なさが、狩という開放的な雰囲気に接して、昔の思い出を呼び寄せたのかもしれない。

とはいえ、額田王は、新しい夫たる天智天皇に対しても、愛の溢れる相聞歌を贈っている。

―額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌
  君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く

この時代の結婚は、夫婦同居ではなく、男が女のもとに通うという、妻問婚であった。それは、天皇始め王族にあっても同様だったらしい。だから、夫の来るのを待つ女の心を詠んだ歌は、相聞歌の中心をなすものであった。 

そもそも、この国に和歌というものが生まれ、それが広がっていったきっかけは、このような結婚の形態がもたらす、相聞のやりとりにあったとも思われるのである。

この歌は、簾といい秋の風といい、叙景にことよせて恋の心を歌っている。その歌い方が余りに斬新であったので、論者の中には、額田王にかこつけて、後世のものが作ったのではないかというものまで現れた。それほどに、古代人の感性としては、新しいものがあったのだろう。

額田王は、叙景の歌にも優れたものを残した。

―天皇の内大臣藤原朝臣に詔(みことのり)して、春山の万花の艶、秋山の千葉の彩を競憐(あらそ)はしめたまふ時、額田王の歌を以て判(ことは)れるその歌
  冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 
  咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 
  草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 
  黄葉(もみ)つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く 
  そこし怜(たの)し 秋山我は

天智天皇が詩文のコンクールとでもいうべきものを開き、春の花と秋の葉といづれが勝れるか、漢詩を以て述べよと命じたのに対し、額田王のみは和歌を以て応えたとされる歌である。当時漢詩は、新しい教養として貴族の間に普及しつつあった。日本伝来の歌に比べ、結構においても表現においても幅が広く、論理性や叙景に優れた器と意識されていた。そこを、額田王は日本古来の言葉を以て、あえて叙景の歌を作ったのである。

対句を効果的に用いているところなど、漢詩の影響もあるのだろう。だが、日本語でこのような歌を作ることができたのは、彼女以前には殆どいなかったのではないか。詞とイメージの運び方などは、後の時代の人麻呂や赤人を想起させる。

額田王は、中年時代に最愛の娘をなくし失意の時期もあったらしいが、長い寿命を享受したらしい。六十歳を過ぎてもなお、若々しさを失わず、二十代の青年と相聞歌をやり取りしている。

―吉野の宮に幸(いでま)せる時、弓削皇子の額田王に贈り与ふる歌一首
  古に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡りゆく

―額田王の和へ奉る歌一首 倭京より進入(たてまつ)る
  古に恋ふらむ鳥は霍公鳥けだしや鳴きし我が思へるごと






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