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天武・持統両天皇(万葉集を読む)


天武天皇(大海人皇子)は壬申の内乱を勝ち抜き、自力で王位を手中にした。持統女帝は天智天皇の娘であったが、叔父の大海人に嫁いでともに壬申の乱を戦い、夫の即位後は皇后としてともに政に当たった。しかして天武天皇が亡くなって後は、孫の文武天皇が成長するまでのつなぎ役として即位した。この夫婦が統治した時期は、日本の古代でも最も安定した時代だったといえる。

大海人皇子は若い頃から才能を発揮し、周囲からも天智の後継者と目されていた。現代と異なり、古代においては兄弟間の王位継承は珍しいことではなかったからである。しかし、天智天皇は庶腹とはいえ実子の大友皇子に即位させたかったようだ。

天智天皇が死の病の床に臥せると、大海人は吉野に移った。しかして天智が死ぬと、そこより美濃に走り、大軍を組織して大友(弘文天皇)を戴く近江の朝廷を倒した。これが壬申の乱といわれる古代最大の内乱である。

大海人は何故亡命先に吉野を選んだのか、これについては様々な憶測がなされている。吉野は大海人が少年時代から青年時代にかけて多くの時間をすごしたところらしく、そんなことから政治的な拠り所があったのだろうとするのが、有力な説である。

天皇みずからその吉野を歌った歌が、万葉集巻一に載せられている。非常に議論を呼んだ歌である。

―天皇のよみませる御製歌
  み吉野の 耳我(みかね)の嶺(たけ)に 
  時なくそ 雪は降りける 間(ま)無くそ 雨は降りける 
  その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 
  隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を(25)
―或ル本ノ歌、
  み吉野の 耳我の山に 
  時じくそ 雪は降るちふ 間なくそ 雨は降るちふ 
  その雪の 時じくがごと その雨の 間なきがごと 
  隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を(26)
  右、句々相換レリ。此ニ因テ重テ載タリ。

この歌の作られた時期、万葉集の中にある類似の歌との関連、記紀が記す所の童謡との関連などについて、古来様々な臆説がなされてきた。

それらをさておいて、筆者はこの歌を、大海人が都を逃れて吉野にやってきた頃に作られたものとして鑑賞したい。

吉野は規模は小さいながら峻厳な山岳地帯である。その険しい山道を、雪や雨に打たれ、心中に繁き思いを抱きながら上ってきたことよ、そんな感慨をこの歌は詠んでいるものと思える。馴れたこの山を根拠にして、大海人は一生一大の壮大な賭けに出ようとしているのである。そう思って読めば、おのずから感慨深く迫ってくるものがある。

この歌にすぐ続いて載せられている歌は、即位後吉野の離宮に立ち寄った際に天皇自ら詠んだものである。

―天皇の吉野の宮に幸せる時によみませる御製歌
  淑き人の良しと吉く見て好しと言ひし芳野吉く見よ良き人よく見(27)
紀ニ曰ク、八年己卯五月庚辰朔甲申、吉野宮ニ幸ス。

この歌には、前の歌と違って、心のゆとりが感じられる。かつて身を隠すために逃れてきて、そこを拠点に王位簒奪の戦いに立ち上がった地、それが吉野だ。今やその王位を手中にして、こうして思い出の地に戻ってきた、そんな気負いが伺われるのである。


持統女帝は夫君以上に、すぐれた歌の感性をもっていた。人麻呂始め、歌人たちの作った歌を正当に評価したばかりでなく、自らも感性豊かな歌を作っている。

ここでは、天武天皇の死を悲しんで詠んだ歌を掲げておこう。

―天皇の崩(かむあがりま)せる時、大后のよみませる御歌一首
  やすみしし 我が大王の 夕されば 見(め)したまふらし
  明け来れば 問ひたまふらし 神岳(かみをか)の 山の黄葉(もみち)を
  今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見(め)したまはまし
  その山を 振り放(さ)け見つつ 夕されば あやに悲しみ
  明け来れば うらさび暮らし 荒布(あらたへ)の 衣の袖は 乾(ひ)る時もなし(159)
一書ニ曰ク、天皇ノ崩セル時、太上天皇ノ御製(ミヨ)ミマセル歌二首
  燃ゆる火も取りて包みて袋には入(い)ると言はずや面智男雲(160)
  北山にたなびく雲の青雲の星離(さか)り行き月も離(さか)りて(161)

―天皇ノ崩シシ後、八年九月九日御斎会(ヲガミ)奉為(ツカヘマツ)レル夜、夢裏ニ習(ヨ)ミ賜ヘル御歌一首
  明日香の 清御原の宮に 天の下 知ろしめしし
  やすみしし 我が大王 高光る 日の皇子
  いかさまに 思ほしめせか 神風(かむかぜ)の 伊勢の国は
  沖つ藻も 靡(なび)かふ波に 潮気のみ 香れる国に
  味凝(うまごり) あやにともしき 高光る 日の御子(162)

次の歌は、おそらく藤原宮の宮殿から天の香具山を望んで歌った歌と考えられる。

―天皇のよみませる御製歌
  春過ぎて夏来るらし白布(しろたへ)の衣乾したり天の香具山(28)

言葉遣いが流れるようで、しかも景色を彷彿とせしめるような写生の確かさがある。茂吉はこの歌あるを以て、持統天皇の歌への造詣の深さをよく物語るものだとした。






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