万葉集を読む

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秋草を詠む(二):万葉集を読む


なでしこは、秋の野原や川原にひっそりと咲く。その姿が可憐なことから、女性のイメージと結びつき、「やまとなでしこ」などという言葉が生まれた。万葉集にはなでしこを詠った歌が二十数首収められている。次はその一つ。
  秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも(464)
秋がきたらこれを見て私を思い出してくださいとあの子が植えてくれた撫子が、花を咲かせた、と言う趣旨。あの子にも見せたいものだ、という気持ちが伝わってくる。

次も、なでしこの花に思い人を重ね合わせた歌。
  我が宿のなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ子もがも(1496)
我が宿の撫子の花が盛りです、その花を手折って見せたい子がほしい、という趣旨。見せたいという子が、自分の思っている子なのか、それともそんな人はいないけれども、いたらいいな、という意味なのか、どちらとも取れる。

次は、片恋をなでしこに寄せて詠った歌。
  隠りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出よ朝な朝な見む(1992)
心のなかだけで恋うているのは苦しい、なでしこの花のようにぱっと思いをあらわしてください、そうしたら毎朝そんなあなたを見て過ごしましょう、という趣旨。男から女に呼びかけているのだろう。なでしこのようにぱっと明るく、わたしへの思いをあらわして欲しい、というのだが、こういわれた女性がどんなふうに受け取るか。

次は、女から男に呼びかけたもの。
  うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む(4010)
恋しいあなたがなでしこの花であったらよいのに、そうしたらわたしは毎朝あなたを見ながらすごすことでしょう、という趣旨。相手に向かって撫子のように咲いて欲しいというのは、あなたの愛のしるしを私に見せて欲しいという意味なのだろう。

次はおみなえしを詠った歌。漢字で女郎花と書くように、女性のイメージと結びつくことが多い。万葉集には、おみなえしの花を詠った歌が十四首収められている。
  手に取れば袖さへにほふをみなへしこの白露に散らまく惜しも(2115)
おみなえしの花を手に取ると、袖さえもがその匂いに染まります、この白露に濡れて散ってしまうのが惜しい、と言う趣旨。

次はおみなえしの咲き誇る野辺を詠んだ歌。
  をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻(もとほ)り来ぬ(3944)
おみなえしの咲く野辺を歩くうちにあなたを思い出し、わざわざ遠回りをしながら来ました、という趣旨。遠回りをしたのは、女郎花の花を心行くまで見るためだろう。その花に愛する女の面影を見ているわけであろう。

次は朝顔の歌。万葉集に出てくる朝顔は、現在の朝顔とは違うと言う説もあるが、詳しいことはわからない。朝顔というからには、朝方に花を開くのだろう。
  臥(こ)いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出でじ朝顔の花(2274)
あなたが死ぬほど恋しくても、その思いを顔には出さないようにしましょう、朝顔の花のようにあからさまには、と言う趣旨。万葉の朝顔の花は派手なイメージがあったようだ。

次も朝顔を詠った歌。これは前の歌とは違って、朝顔をしとやかな花として詠っている。
  言に出でて云はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも(2275)
あなたに恋していると、言葉に出して言うのははばかられますから、朝顔の花のようにひっそりとした恋をしましょう、という趣旨。

秋の七草のうち、藤袴は、山上憶良の旋頭歌に出てくるだけで、これだけを主題にして詠った歌は万葉集にはない。





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