万葉集を読む

HOME本館ブログ東京を描く水彩画あひるの絵本プロフィール掲示板サイトマップ



七夕を詠む(一):万葉集を読む


万葉集には、七夕を詠んだ歌が百三十首以上収められている。当時の日本人に、七夕が親しまれていたことをうかがわせるが、実は七夕は、日本固有の行事ではなく、中国から伝わってきたものだ。それが日本にいち早く定着した背景には、日本の婚姻制度の特徴が働いていた。日本の古代における婚姻制度は、妻問婚といって、男が女の家に通うという形態をとっていた。そうした婚姻制度があるところに、一年に一度男女が天の川で出会うという中国の伝説が入ってきたために、この伝説が日本固有の妻問婚を想起させて、いちはやく普及したのだと考えられる。

中国の伝説では、女が男を訪ねるということになっている。それを日本では、妻問婚の慣例に合わせて、男が女を訪ねるというふうに変えた。秋の七夕の空で、天の川を隔てて、織女と牽牛星が向き合い、やがて牽牛星が天の川を渡って織女と結ばれ、夜明けと共に消え去ってゆく、というものだが、これが当時の日本の妻問婚のあり方を如実に反映していると思念されたのである。

万葉集中の七夕の歌は、巻十に集中的に収められている。秋雑歌七夕の部の歌がそれだが、冒頭から三十八首が「柿本人麿歌集」からとられており、それにつづいて作者未詳の歌が数多く収められている。そのほか、巻八に山上憶良のものをはじめいくつかの歌があり、その他の巻にもいくつか収められている。ここでは、柿本人麿歌集の歌を取り上げてみたい。まず、三十八首の冒頭を飾る歌。
  天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや(1986)
天の川の水底まで照り輝く中に船をとめて、船人は恋人に会えただろうか、という趣旨。男が船に乗って天の川を渡ってゆくイメージを描きながら、恋人たちが無事会えただろうかと気遣っているこの歌は、いかにも七夕の伝説の持つイメージに相応しい。

次は、その男自身、つまり牽牛星(彦星)の立場になって詠った歌。
  大空ゆ通ふ我れすら汝がゆゑに天の川道をなづみてぞ来し(2001)
大空を通っている自分ですら、あなたのために天の川を難儀しながらこうやって渡ってきたのです、という趣旨。「汝がゆゑに」という言葉で、恋人を思う気持の強さを表現している。

次は、彦星が一人寝をしているであろう織姫星を気遣う歌。
  我が恋ふる丹のほの面わこよひもか天の川原に石枕まかむ(2003)
私の恋しい、紅に輝く顔の妻は、今宵も天の川の川原で、石を枕にして寝ているだろうか、という趣旨。これから訪ねるつもりの織姫のことを気遣っているのか、それとも一年に一度しか会えない相手を、その会えない時期に気遣っているのか、どちらとも読める。

次は、いよいよ七夕の時節が来て、これから会える喜びを詠った歌。
  天の川水蔭草の秋風に靡かふ見れば時は来にけり(2013)
天の川の水影に生えている草がなびくのをみれば、いよいよ七夕の時節が来たのだとわかる、という趣旨。七夕の日を迎えて、いよいよ会える喜びに打ち震える感情を詠ったのだろう。歌い手の男女の別は、あまり問題にしないでもよい。恋人を恋しく思う気持に、男女の別はなかろうからだ。

次は、織姫星が、彦星の到来を喜ぶ歌。
  我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜舟漕ぐなる楫の音聞こゆ(2015)
わたしの夫を恋しく思っていたら、天の川を漕ぎ渡る船の楫の音が聞こえてきました、という趣旨。楫の音に、夫の訪れを予想して、よろこびに打ち震えている様子がわかる。

次は、長い間待たされたので、もうこれ以上じらさないでほしいという、織姫星の気持を詠った歌。
  恋ひしくは日長きものを今だにもともしむべしや逢ふべき夜だに(2017)
長い間恋しい思いをしてきたのに、いまになってもわたしをじらすのですか、折角会える夜だというのに、という趣旨。夫が自分のところにたどり着くのが遅くて、じれている妻の気持を詠ったものだ。

次は、天の川を渡るのにてまどったことを、彦星が織姫星に言い訳するもの。
  天の川去年の渡りで移ろへば川瀬を踏むに夜ぞ更けにける(2018)
天の川を渡るのに、渡り場の様子が昨年と変わってしまったので、川瀬を踏んでいるうちに、夜が明けてしまったのだよ、という趣旨。

以上、人麻呂歌集から七夕の歌をいくつか取り上げたが、いずれの歌も、彦星と織姫星とを擬人化し、人間の男女の間を星たちに寄せて歌い上げているものと言えよう。自然の事象などにことよせて男女の恋を詠むのは、万葉歌の大きな特徴であるわけだが、そうした事象のなかでも七夕は、とびきり親しみやすいものだったのである。





万葉集を読む| 四季の歌| 次へ








作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2017
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである