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冬の歌:万葉集を読む


万葉集の中で、冬を詠った歌といえば、圧倒的に雪を詠んだものが多い。それとあわせて、冬のうちに咲く梅を詠んだものがある。梅は、いまでは初春の風物として受け取られているが、旧暦では、今の正月にあたる時節はまだ冬なので、その頃に咲く梅が冬の風物として受け取られた。万葉の時代の梅は、白梅だったことから、それが咲くさまが、枝に積もった雪と似ていた。そこで、万葉の歌では、梅と雪とを関連付けて詠った歌が多い。

ここでは、雪を材料にして冬の寒さを詠った歌から鑑賞したい。まず、次の一首。
  大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに(1636)
大口のは、真神(狼)の枕言葉(狼は口が大きいことから)。その真神の原に振っている雪は、あまり激しく降らないで欲しい、身を寄せるべき家もないことですので、という趣旨。真神の原は飛鳥地方にあった原、歌い手の舎人娘子は、舎人皇子に仕えた女官だったらしい。身を寄せる家がないというから、雪の降りしきる原のなかで立ち往生しているのだろう、その様子が目に浮かぶような、素直な歌である。

次も降る雪を詠った一首。大伴旅人が大宰府赴任中に詠んだ歌である。
  沫雪のほどろほどろに降りしけば奈良の都し思ほゆるかも(1639)
沫雪は粉雪のことだろう。その粉雪が盛んに降るのを見ると、奈良の都が思い出される、という趣旨で、粉雪の降ることに望郷の思いを重ねているものだろう。「ほどろほどろ」は、普通は粉雪の軽い感じがニュアンスとして含まれているとされるが、ここでは雪が盛んに降ることの形容詞に使われている。そうしたニュアンスを感じさせる歌が他にもある。「夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪ふりたり」(2318)。この「はだらに」は「ほどろに」の転じた形で、雪が盛んに降るさまを現している。

次は、光明皇后が聖武天皇に奉げた雪の歌。
  我が背子とふたり見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しくあらまし(1658)
あなたとふたりでこの降る雪を見ましたならば、どれほどうれしいことでしょう、という趣旨。ということは、皇后は一人で雪が降るのを眺めているのだろうか。それとも二人で見ていることのうれしさを詠っているのだろうか。どちらにしても、素直な言葉づかいで余韻の深さを感じさせる歌である。

次は、雪にことよせて思い人に感情を吐露しているもの。
  真木の上に降り置ける雪のしくしくも思ほゆるかもさ夜問へ我が背(1659)
真木の上に降り積もった雪のようにしきりとあなたが思われます、是非今夜いらしてください、という趣旨。歌手は他田広津娘子。おそらく雪の降る日に、恋人に手紙を贈り、その中で是非きてくれるように呼びかけたのだろう。万葉人達は、デートの約束も歌を通じて行ったというから、これはその実際を物語っているように聞こえる。

次は、雪と一人寝のわびしさを詠った歌。
  淡雪の庭に降り敷き寒き夜を手枕まかずひとりかも寝む(1663)
淡雪が庭に降りしきるこの寒い夜を、あなたの手枕をまくこともなく、一人で寝ることになるのでしょうか、という趣旨。これはデートを断られて一人寝をするハメになった乙女の嘆きを詠ったものだろう。というのは、穿ち過ぎた見方で、この歌は大伴家持の歌なのである。

次は、寒梅と恋の結びつきを詠った歌。
  梅の花まづ咲く枝を手折りてばつとと名付けてよそへてむかも(2326)
梅の花の咲いた枝を手折ったならば、それを恋人へのお土産にするのだと、人々は噂するでしょうか、という趣旨。万葉の人々は、自分の恋心が噂になることを、非常に気にしていたが、この歌はそういう生活感情を詠ったものと思われる。恋をするにも、一々世間の目が気になるというわけだ。

次は、巻十から柿本人麿歌集の一首。
  降る雪の空に消ぬべく恋ふれども逢ふよしなしに月ぞ経にける(2333)
降る雪が空に消えてゆくように、わたしも消え入らんばかりにあの人を恋しているのだが、会うこともままならぬままに、月日だけがたってしまった、と詠ったもの。降る雪が空に消えるように自分の気持も消え入らんばかりだというところが、この歌のポイントだ。

次も、同じく柿本人麿歌集から。
  沫雪は千重に降りしけ恋ひしくの日長き我れは見つつ偲はむ(2334)
粉雪は千恵に重なって降り積もれ、あなたを恋し続けること長いわたしは、いつまでも雪を見ながらあなたを恋し続けるでしょう、という趣旨。歌の雰囲気からして、女から男に贈ったもののようにも聞こえる。





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