万葉集巻十六は、娘子伝説の歌に続いて、若い女性をめぐるいくつかの歌を収めている。若い妻の夫への気遣いを歌ったものとか、采女の機転を歌ったものとか、恋人同士が引き裂かれてしまった悲哀を歌ったものである。娘子伝説が、第三者を通じての女性の運命のようなものを歌っているのに対して、これらは、基本的には、当事者である女性自身が詠っている。それだけに、万葉時代の若い女性たちの心意気のようなものが伝わってくる。ここでは、そうした女性たちの歌を、三首取り上げる。 まず、結婚をためらう男に向かって、女が葉っぱをかけるという趣の歌。 事しあらば小泊瀬山の石城にも隠らばともにな思ひそ吾が背(3806) 何か不都合なことがおきたら、長谷山の墓に一緒に入りますから、心配しないでくださいな、あなた、という趣旨。これだけだと、背景が不明で、何を言いたいのかよくわからないが、詞書を合わせ読むことで、事情が明らかになる。その詞書は、 右は傳へて云はく「ある時、女子あり。父母に知らせず 竊(ひそか)に壮士と接はる。壮士其の親の呵嘖(ころ)はむ ことをおそりて、やくやくに猶預(たゆた)ふ意あり。 これに因りて娘子、斯の謌を裁作りて贈り与ふ」といふ。 女が親に内緒で男と交わっていた。ところが男は親に反対されることを恐れて、次第にためらうようになった。そこで女がこの歌を作って男を励ました、という趣旨だ。つまり、偕老同穴の誓いを立てることによって、男に自分との結婚を迫っているわけである。万葉の時代の女性が、非常に積極的だったことがうかがえる歌だ。 次は、采女の機転をよく物語る歌。 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を吾が思はなくに(3807) 浅香山の影を映している山の井戸のように浅い心を持っているわけではありません、という意味だが、これも、これだけでは何が言いたいのかよくわからない。詞書には次のようにある。 右の歌は、伝へて云はく、「葛城王、陸奥の国に遣はさえける時に、 国司の祇承、緩怠にあること異にはなはだし。時に、 王の意悦びずして、怒りの色面に顕れぬ。飲饌を設くといへども、 あへて宴楽せず。ここに前の采女あり。風流の娘子なり。 左手に觴を捧げ、右手に水を持ち、王の膝を撃ちて、 この歌を詠む。すなわち、王の意解け悦びて、 楽飲すること終日なり」といふ。 葛城王が陸奥の国に赴任した際に、土地の下役が職務怠慢だったため、王は機嫌を悪くした。下役が宴会を催してもてなしても、楽しもうとしない。そこで、前の采女が機転を利かせて歌を詠んだ。すると王の心がうちとけて宴会を楽しんだ、というのである。 この歌は、詞書からは国司と下役との間を采女が取り持ったということになっているが、女が自分の恋心を、浅からぬものとして詠んだとも解釈できる。実際この歌は、恋の歌として人口に膾炙してきた歴史がある。 次は、わかりやすい恋の歌。 吾が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし(3813) 私の命は惜しくもありません、あなたに長く寄り添っていられればそれでよいのです、という、女の素直な心を詠んだ歌だ。これには次の詞書が、左注としてついている。 右は傳へて云はく「時に娘子あり。姓を車持氏なり。 その夫久しく年序を逕て徃来をなさず。時に娘子、 係る戀に心を傷ましめ、痾疹に沈み臥り、 痩羸(そうるい)日に異にして、忽ちに泉路(せんろ)に臨みき。 ここに使を遣りその夫の君の来るを喚ぶ。 すなはち歔欷(なげ)き流啼して、この謌をくちずさみて、 すなはち逝歿(みまか)りぬ」といふ。 詞書では、女はこの歌を詠んですぐ死んだということになっているが、それは歌の効果を高めるための、編者の工夫だったかもしれない。巻十六の歌には、そうした工夫を感じさせるものが多いのである。 |
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