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白水郎の歌:万葉集を読む


万葉集巻十六に、「筑前国の志賀の白水郎の歌十首」と題された一連の歌が収められている。これらは、公務に従事して船で津島を往復した船乗りが、嵐のために船が転覆して死んだことについて、第三者が同情の気持ちを歌ったものである。作者は不詳と言うことになっているが、その結構からして、山上憶良ではないかと推測されている。一連の歌には、左注の詞書が付されており、それを読むと歌の背景がよくわかる。まずそれから見ておこう。

   右は、神龜年中に、大宰府、筑前國宗像郡の百姓、 
   宗形部津麻呂を差して、對馬送粮の舶の抱師(かじとり)に宛つ。
   時に、津麻呂、滓屋の郡志賀の村の白水郎(あま)、
   荒雄の許に詣りて、語りて曰はく「我小事有り、
   けだし許さじか」と云ふ。荒雄答へて曰はく、
   「我郡を異にすといへども、船を同じくすること日久し。
   志は兄弟より篤く、殉死することありとも、
   豈また辞(いな)びめや」といふ。津麻呂曰はく、
   「府の官(つかさ)、我を差して、對馬送粮の舶の
   抱師に宛てたれど、容齒衰老して、海路に堪へず。
   ことさらに来りて祇候(しこう)す。願はくは相替はる
   ことを垂れよ」と云ふ。是に荒雄、許諾(ゆる)し、
   遂にその事に従ふ。肥前國松浦の縣の
   美祢良久(みねらく)の崎より舶を發(い)だし、
   直に對馬をさして海を渡る。すなはち、忽ちに天暗冥くして、
   暴風に雨を交へ、竟(つい)に順風無く、海中に沈み没(い)りき。
   これに因りて妻子等、犢慕にあへずして、此の謌を裁作る。
   或は、「筑前國守山上憶良臣、妻子の傷(いたみ)を悲感(かな)しび、
   志を述べて此の謌を作るといふ。

荒男という船乗りが、仲間の船乗りから対馬へ船で往復する仕事を頼まれる。命掛けの仕事だが、仲間同士の付き合いに免じて仕事を代わってやる。ところが船は嵐で転覆し、荒男は死んでしまった。もともと自分が命じられた仕事ではないのに、代わってやったことで死ぬ不運に見舞われたわけである。その悲しみを、荒男の妻子が詠ったとも、あるいは山上憶良が代わって詠ったとも、詞書は言っている。当時、船で対馬にゆくことが命がけだったことがわかる。

次にその十首の歌を順に取り上げたい。まず、
  王の遣(つか)はさなくにさかしらに行きし荒雄ら沖に袖振る(3860)
王に命じられたわけでもないのに、無理していったばかりにこのような目にあい、沈みゆく船の上で、妻子に別れの袖を振っているぞ、という趣旨。荒男にかわって、思わずして死ぬことの無念さを歌い上げている。

  荒雄らを来むか来じかと飯(いひ)盛りて門に出で立ち待てど来まさず(3861)
荒男が返ってくるのを今か今かと、飯を椀にもって、妻子が門で待ちわびているが、いくら待っても荒男は帰って来ない、悲しいことだというような趣旨だ。

以下の歌も、同じような感情を歌い上げており、その言葉も分かりやすいので、以下一括して採録する。

  志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ(3862)
  荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか(3863)
  官(つかさ)こそさしても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る(3864)
  荒雄らは妻子(めこ)の産業(なり)をば思はずろ年の八年を待てど来まさず(3865)
  沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良(やら)の崎守)早く告げこそ(3866)
  沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻(た)みて漕ぎ来と聞こえ来ぬかも(3867)
  沖行くや赤ら小船に裏(つと)遣らばけだし人見て開き見むかも(3868)
  大船に小船引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも(3869)

同じような言葉を繰り返し用いながら、全体として事件の顛末がわかるように配列されており、十首合わせて一つの物語になっていることがよくわかる。こうした物語性を、連歌の形で表現するところなどは、高度な技法を感じさせるので、そこからしても、これが山上憶良のものだとする解釈にはうなづけるものがあると言えよう。





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