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真間の手児奈伝説:山部赤人と高橋虫麻呂


万葉集巻三に、山部赤人が葛飾の真間の手古奈伝説に感興を覚えて詠んだ歌がある。手古奈はうら若い乙女であったが、自分を求めて二人の男が争うのを見て、罪の深さを感じたか、自ら命をたったという伝説である。赤人は、鄙の地にかかる悲しい話が伝わっているのに接して、哀れみの情を覚え、歌にしたものと思える。

―勝鹿の真間の娘子が墓を過れる時、山部宿禰赤人がよめる歌一首、また短歌
  古に ありけむ人の 
  倭文幡(しつはた)の 帯解き交へて 臥屋建て 妻問しけむ 
  勝鹿の 真間の手兒名が 奥津城を こことは聞けど 
  真木の葉や 茂みたるらむ 松が根や 遠く久しき 
  言のみも 名のみも我は 忘らえなくに(431)
反歌
  我も見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手兒名が奥津城ところ(432)
  勝鹿の真間の入江に打ち靡く玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ(433)

勝鹿は葛飾とも書く。もと下総の一部分で、いまは千葉、埼玉、東京の三県にまたがっているが、この伝説は千葉県市川地方を舞台にしていた。現在でも、市川弘法寺の隣に手古奈を祀った霊堂が立っている。

古にありけむ人が臥屋をたてて妻問したというから、手古奈は誰かの思い人だったのだろう。歌には触れられていないが、この臥屋に別の男が通うようになったのかもしれない。

妻問とあるとおり、この時代は、男が女のもとに通うのが結婚のあり方だったから、夫の不在の折には、他の男が愛を求めて通うことがあっても、不思議ではなかった。だが、手古奈は、そんな自分に罪の深さを感じた。彼女は、罪を償おうとして自らの命を絶った。そこに、赤人は感動したのだろう。反歌には、手古奈の墓を見ての感動がいっそう強く歌われている。

手古奈の伝説は、広くいきわたっていたらしく、万葉集巻十四の東歌にも、それに触れた作品がある。

  葛飾の真間の手兒名をまことかも我に寄すとふ真間の手兒名を(3384)
  葛飾の真間の手兒名がありしかば真間の磯辺(おすひ)に波もとどろに(3385)
  足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ(3387)

東歌らしい無骨さの限りで、何らのロマンをも感じさせないが、伝説中の美女を思いやる気分は伝わってくる。

手古奈を詠った歌としては、もう一つ、高橋虫麻呂の作品が万葉集に載せられている。

―勝鹿の真間娘子を詠める歌一首、また短歌
  鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと
  今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手兒名が
  麻衣(あさきぬ)に 青衿(あをえり)着け 直(ひた)さ麻を 裳には織り着て
  髪だにも 掻きは梳らず 履をだに はかず歩けど
  錦綾の 中に包める 斎(いは)ひ子も 妹にしかめや
  望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば
  夏虫の 火に入るがごと 水門入りに 舟榜ぐごとく
  行きかがひ 人の言ふ時 幾許も 生けらじものを
  何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く湊の
  奥城に 妹が臥(こ)やせる 遠き代に ありけることを
  昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも(1807)
反歌
  勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ(1808)

「鶏が鳴く」は関東の枕詞、都に先立って夜が明けることから、そういわれた。この歌には、手古奈の面影が、赤人の歌以上に詳細に語られている。「麻衣に 青衿着け 直さ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 履をだに はかず歩けど 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや」とは、貧しい農民の女ながら、その美しさは着飾った富める女も及ばないと、手兒名のういういしさを強調している。

その手兒名が、「望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば」、どんな男も心を動かされたに違いない。「夏虫の 火に入るがごと」、彼女の魅力に引き寄せられた。

「行きかがひ人の言ふ時」とは、複数の男が、入れ替わり手古奈に言い寄るさまを詠んだのだろう。

ところが、手古奈は「何すとか身をたな知りて」命を絶った。自分の身の浅ましさをはかなんだのでもあろうか。

虫麻呂は手古奈の墓を見て、その薄幸に同情し、「奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも」と思いつつ、この歌を詠んだのである。

筆者の住む船橋からは、手古奈の霊堂はそう遠くないので、時たま訪れることがある。東歌にある「葛飾の真間の継橋」の跡も、そこにはある。この継橋を渡ると、その先には弘法寺に上る百数十級の石段が聳え、その脇に手古奈の霊堂がひっそりと立っている。






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