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柿本人麻呂


柿本人麻呂は、万葉歌人のなかでも、最も優れた歌人であったといえる。万葉集は、長い時代にわたる大勢の人の歌を収録しており、歌風にはおのずから変遷が見られる。人麻呂は、万葉の時代の丁度中間の転換期に現われて、それ以前の古代的なおおらかさを歌った時代から、人間的な肌理細やかな感情を歌うようになっていった時代とを橋渡しするような存在である。そういう意味で、万葉の時代を象徴するような歌人である。

柿本人麻呂の生涯については、わからぬことも多いが、持統天皇の時代に、宮廷歌人として多くの儀礼的な歌を作ったことを、万葉集そのものが物語っている。その歌は、古代の神話のイメージを喚起させて、雄大なものがある。宮廷歌人としての人麻呂は、天皇や皇子たちの権威をたたえたり、皇族の死を悼んだり、折に触れて宮廷の意向に応えていたと思われる。こうした宮廷歌人の役割は、古代における部曲の一つのあり方だったように思われる。

柿本人麻呂は相次いで失った二人の妻のために、哀切きわまる挽歌を作っている。また、旅の途中に目にした死者を見ては、彼らの不運に感情移入して、歌わずにはいられなかった。それらの歌に響く人麻呂の人間的な感情は、時代を超えて人びとの心を打つ。日本の詩歌の歴史は、柿本人麻呂を得ることによって、豊饒さを持つことができたと言える。

柿本人麻呂の死については不明な点が多く、古来様々な憶測を呼んだ。有名な憶測として梅原猛の水死説があげられるが、根拠らしいのもはほとんど示しておらず、文字通り憶測にとどまっている。筆者は、独自の考察をもとに、柿本人麻呂火葬説を提出した。

万葉集中における柿本人麻呂自作の歌は百首に上る。その他に、柿本人麻呂歌集の中にも人麻呂自作の歌が交っている可能性がある。ここでは、人麻呂の自作が明らかな歌のうちから代表的なものを選んで、鑑賞しながら適宜解説を加えたい。柿本人麻呂歌集の歌については、別途万葉集拾遺の部分で触れたい。





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