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柿本人麻呂:妻の死を悼む歌(万葉集を読む


万葉集巻二にある柿本人麻呂の「泣血哀慟の歌二首」は、かつては同じ人の死を悼んだ歌とされていた。しかし、よく読むと、そこには根本的な違いがある。一首目はロマンに満ちた歌であるのに対して、二首目はかなり現実的な調子なのである。しかも、一首目の妻は通い妻であったのに対し、二首目の妻とは同居していた。

一首目に歌われた軽の女と、ここで歌われている妻との間に、どのような関係があったのか、よくわからない。恐らくは、この妻のほうが軽の女より後に死んだのであろう。人麻呂が軽の女との関係を世に憚ったのは、この妻への配慮からであったかもしれない。

それはともかく、ここでも人麻呂は、妻の死を心から悼んでいる。現実的な調子といったが、悲しみの深さは、軽の女の時と変わらぬのである。

まずここでも、歌そのものを読んでいただきたい。

  うつせみと 思ひし時に たづさへて 吾が二人見し
  走出(わしりで)の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝の
  春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
  頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背きしえねば
  蜻火(かぎろひ)の 燃ゆる荒野に しろたへの あまひれ隠り
  鳥じもの 朝たちいまして 入日なす 隠りにしかば
  我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに
  取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち
  我妹子と 二人吾が寝し 枕付く 妻屋のうちに
  昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
  嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
  大鳥の 羽易(はかひ)の山に 吾が恋ふる 妹はいますと
  人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき
  うつせみと 思ひし妹が かぎろひの ほのかにだにも 見えぬ思へば
短歌二首
  去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離(さか)る
  衾道(ふすまぢ)を引手の山に妹を置きて山道を往けば生けるともなし

「我妹子と 二人吾が寝し 枕付く 妻屋」とあるところなどから、人麻呂はこの妻と同居していたのではないかと推測される。この妻を人麻呂は、「春の葉の 茂きがごとく 思へりし」とか、「頼めりし 子ら」とかいっている。

この時代、男女の結婚は通い婚が一般的であり、夫婦が同棲するということは、少なくとも上流階級においては珍しいことであった。人麻呂が敢えて同居婚を選んだのには、色々な事情があったのだろうが、その詳細はわからない。ただ、当時としては、男女の結婚の新しい形であったに違いないといえる。

「うつせみと 思ひし時に たづさへて 吾が二人見し 走出の 堤に立てる 槻の木の」とあるように、二人の住居は川の堤にあったのだろう。そこで二人は、槻の木の茂るさまをともに眺めた。また、短歌に「去年見てし秋の月夜は照らせれど」とあるように、二人して秋の月を眺めたこともあっただろう。

この歌は、人麻呂時代には珍しかった同居する夫婦の形を、はからずも現代の我々に伝えている。

その妻の死が、歌の中では急迫する悲しみとしてとらえられている。「蜻火の
燃ゆる荒野に しろたへの あまひれ隠り 鳥じもの 朝たちいまして 入日なす 隠りにしかば」とは、突然妻を失った男の驚きの率直な表現だろう。

妻の死後、人麻呂には幼い子が残された。この子に対して、人麻呂は、「取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち」ただただ途方に暮れるばかりである。この子の将来がどうなったか、今となってはわからずじまいであるが、筆者としては、男手一つで育て上げたのだと思いたい。

妻の死後、その面影を求めてさまよう姿は、一首目の場合と同じである。「羽易の山に 吾が恋ふる 妹はいますと」人が言うのを聞いて、いってみたのであるが、愛する人の面影に出会うことはできなかった。しかれば人麻呂は、「うつせみと 思ひし妹が かぎろひの ほのかにだにも 見えぬ思へば」と、深い絶望に沈むのである。

この歌には、異本があって、そこでは妻が灰になっていたとしているのを、別稿「日本における火葬の始まり」において触れた。同居していた妻を葬ったのは、他ならぬ人麻呂自身であったと考えられるから、妻を火葬したのも、おそらく人麻呂自身であったに違いない。

人麻呂には、火葬をテーマにして詠んだ歌もある。この時代、日本では上流階級の間に火葬が行われ始めていた。






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