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笠金村の相聞物語歌:万葉集を読む


笠金村は聖武朝時代の宮廷歌人として貴人の挽歌を詠む一方、地方に出張した際に土地の伝説を題材にした歌を作ったりして、けっこう幅広く活躍した。万葉集には彼の歌が、あわせて四十五首収められている。その中で、架空の娘の立場に立って、天皇の行幸に従って旅する恋人への思いを述べた歌がある。

    神亀元年甲子の冬十月、紀伊国に幸す時に、従駕の人に贈らむ
    為に、娘子に誂らへらえて笠朝臣金村の作る歌
    并せて短歌
  大君の 行幸のまにま 物部の 八十伴の男 
  出いでゆきし 愛はし夫は 天飛ぶや 軽の路みちより 
  玉襷 畝火を見つつ 麻裳よし 紀路に入り立ち 
  真土山 越ゆらむ君は もみち葉の 散り飛ぶ見つつ 
  親にきびにし 我は思はず 草枕 旅をよろしと 
  思ひつつ 君はあらむと 浅そには かつは知れども 
  しかすがに 黙もえあらねば 我が背子が 行きのまにまに 
  追はむとは 千たび思へど 手弱女の 我が身にしあれば 
  道守の 問はむ答へを 言ひ遣らむ すべを知らにと 
  立ちてつまづく(543)

神亀元年(724)、聖武天皇が紀伊に行幸した際に、それに従った官人があり、その官人の妻が夫を偲んで作った歌という設定だが、これは金村のフィクションである。このように、フィクションの形で男女の相聞の歌を作ったのは、金村が最初である。趣旨は、丈夫の夫は大君の行幸にしたがって紀伊のほうに旅しているが、その愛しい夫がいまどうしているかと思いながら、できたら自分も夫を追ってゆきたいとは思うのだが、かよわい女の身としてはそうもいかず、道守に誰何されたらどぅしようなどとなどと思いつつ立ち尽くしているのです、といったものだ。この長歌に反歌が二つついている。

 反歌
  後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを(544)
  我が背子が跡踏み求め追ひゆかば紀の関守い留めてむかも(545)
一首目は、一人残されて恋しい思いをしているよりはいっそ紀の国の妹背の山に一緒にいたいものですという趣旨、二首目は、夫の後を追っていったならば、途中で紀の国の関守にとどめられてしまうでしょう、という趣旨。愛しい思いに燃えながら、自分の意思を実現できずにいるもどかしさを歌ったものだが、果たして女性自身が歌ったならこんな歌い方をするだろうかと疑問に思われないでもない。金村は女性をかなりかよわい存在として見ているようだ。

続いて、今度は男の立場に立って女を思う気持ちを歌ったもの。これも金村のフィクションである。

    二年乙丑の春三月、三香原の離宮に幸す時に、
    娘子を得て、笠朝臣金村の作る歌 并せて短歌
  三香の原 旅の宿りに 玉ほこの 道の行逢ひに 
  天雲の よそのみ見つつ 言問はむ 由の無ければ 
  心のみ 咽せつつあるに 天地の 神事依せて 
  敷栲の 衣手交へて 己妻と 恃める今夜 
  秋の夜の 百夜の長さ ありこせぬかも(546)
これは翌神亀二年(725)、聖武天皇が三香原の離宮に行幸した際、随従した男が宴会の席上で娘子を得た喜びを歌ったものである。これまで引っ込み思案で声もかけることができなかったが、ようやく願いが叶って娘の心をつかむことができた、ついては今夜の長さがいつまでも続いてほしいという趣旨の歌である。男が女を得た喜びが素直に表現されている。これにも反歌が二つついている。

 反歌
  天雲のよそに見しより我妹子に心も身さへ寄りにしものを(547)
  この夜らの早く明けなばすべを無み秋の百夜を願ひつるかも(548)
一首目は、遠くから見ていただけの女を得て、これからは心も身も一体になりたいものだという趣旨、二首目は、夜が早くあけてしまっては仕方がないので、この秋の夜がいつまでも続くことを願いたい、という趣旨。

以上笠金村は、フィクションにことよせて男女の相聞を歌にしたわけだが、彼にはこのほかにもフィクションを好む傾向があって、出張先の伝説を題材にして、男女の恋物語をいくつか作っている。それらについては別の機会に触れたい。





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