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湯原王の相聞歌:万葉集を読む


湯原王は志貴皇子の子、天智天皇の孫である。その人が一人の女性(娘子という)と交わした一連の歌が万葉集巻四に収められている。その女性が誰なのか、詳しいことはわかっていない。わかっているのは、妻を持つ身の湯原王が、若い女性に言い寄り、それを女性が心憎からず思っていたらしいことだ。この二人の交わした歌の数々を読むと、万葉時代の男女のあり方の一端が見えてくる気がする。

まず、湯原王から娘子に贈った歌二首。
  うはへなきものかも人はしかばかり遠き家路を帰さく思へば(631)
  目には見て手には取らえぬ月の内の楓のごとき妹をいかにせむ(632)
一首目は、あなたの愛はうわべだけだったのだね、こんなにも遠い家路を追い返そうというのは、という趣旨。どうも湯原王は、妻問いをしにいった娘子に追い返されたようである。二首目は、目に見るばかりで手にとれない月のなかの楓のようなあなたをどうしたらよいのかね、という趣旨。娘子が自分をなかなか受け入れてくれないのを、月の中の楓のように遠い存在だと嘆いているわけであろう。

これに対して、娘子が答えた歌二首。
  そこらくに思ひけめかも敷栲の枕片さる夢に見え来し(633) 
  家にして見れど飽かぬを草枕旅にも妻とあるが羨しさ(634) 
一首目は、こんなにも思い焦がれていたからでしょうか、枕を片方に寄せて寝た夜に、あなたが夢に現れました、という趣旨。自分だってあなたを愛しているのです、と訴えているようだ。二首目は、家でもちやほやされている奥さんを、旅にも同行させるなんて、妬けるじゃありませんか、という趣旨。どうも娘子は、湯原王の妻に嫉妬して、王につらくあたったようである。

これに対して湯原王が答えた歌二首。
  草枕旅には妻は率たれども櫛笥のうちの玉をこそ思へ(635) 
  我が衣形見に奉る敷栲の枕を放けずまきてさ寝ませ(636) 
たしかに妻を旅に連れていきましたが、本当に思っているのはあなたのことだよ、という趣旨。娘子の嫉妬をかわそうとしているのだろう。二首目は、私の衣を形見にさしあげるから、これを着てわたしのぶんの枕とともに寝なさい、という趣旨。衣を自分のかわりにして、すこやかに寝てくれというわけである。

これに対して娘子が答えた歌首。  
  我が背子が形見の衣妻どひに我が身は離けじ言とはずとも(637) 
あなたが形見にくれた衣を身につけて寝ましょう、たとえ衣は何も言わなくても、という趣旨。どうやら娘子は、湯原王を受け入れる気になったようだ。

これに対して湯原王が相手の愛に乗じた歌。
  ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心惑ひぬ(638) 
たった一晩が過ぎたというのに、もう一月がたってしまったのかと思われ、心が惑います、という趣旨。あなたがわたしを受け入れる気になったからには、一晩も早く一緒に寝たいというわけである。

これに対して娘子が答えた歌。
  我が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢に見えつつ寐ねらえずけれ(639) 
あなたがそんないも思ってくださるからかしら、あなたが夢のなかに現れて、寝ることもままなりません、という趣旨。娘子のほうでも、夢の中ではなく、現実の世界で一緒に寝たいというのだろう。

これに対して湯原王の答えた歌。
  はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに(640) 
あなたの住んでいるここから間近い里を、雲を隔てたように遠く恋い焦がれ続けるのだろうか、まだ一月もたっていないのに、という趣旨。

これに対して娘子の答えた歌。
  絶ゆと言はばわびしみせむと焼大刀のへつかふことは幸くや我が君(641) 
分かれようと言えばつらい思いをさせるからと、表だけつくろうのはいかがなものでしょうか、という趣旨。男の本心を探っているようである。

これに対して湯原王の答えた歌。
  我妹子に恋ひて乱ればくるべきに懸けて寄せむと我が恋ひそめし(642)
あなたに恋い焦がれて心が乱れたら、糸車にあなたをかけて引き寄せようと、そう思ってあなたを恋い始めたのです、という趣旨。あなたへのわたしの愛は、すこしも衰えていませんよと弁明しているようである。

以上、湯原王と娘子の間で交わされた一連の歌を読むと、万葉時代の男女の恋の駆け引きが、目に映るようではないか。




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