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秋風を詠む:万葉集を読む


秋風は、秋の到来を秘かにつげるものとして、非常に季節感を感じさせるものなので、このサイトでも、秋の歌の総論で秋風を話題にしたところだ。秋風はその他に、色々な情緒と結びついている。もっとも著しいのは、秋風の寒さが、人を待つ身の切なさと結びついたものだ。次の歌は、その典型的なものだ。
  今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む(462)
これからは、秋風がいよいよ寒く吹く季節になるが、そんな秋の長い夜を、一人で過ごすのはつらいことだ、というような趣旨だ。これは、大伴家持が、妾を失ったときに、その悲しみを詠ったものとされる。妾を失った悲しみを、一人寝の寂しさで表わすとは、いかにも家持らしい。

次も大伴家持の歌。前の歌よりすこし後に詠まれた。
  うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも(465)
この世の中が無常だとはかねて知っていたが、それにしてもこの秋風が寒い夜に、失った妾が偲ばれることよ、という趣旨。前の歌と似た雰囲気を漂わす歌である。

次は、七夕にことよせて、秋風を詠った歌。
  秋風の吹きにし日よりいつしかと我が待ち恋ひし君ぞ来ませる(1523)
秋風が吹いた日以来、何時来るかと待ちわびていたあなたが、やっときてくれましたのね、という趣旨で、織姫から彦星に呼びかけた形になっている。七月七日は、秋の初めにあたるので、秋風が吹くと、すぐに七夕が連想されたのだろうと思う。この歌は、天平二年の七月八日に、大宰府の旅人の屋敷で催された宴の席で披露されたもの。歌い手は山上憶良である。

次も家持の歌。
  あしひきの山辺に居りて秋風の日に異に吹けば妹をしぞ思ふ(1632)
山の麓に住んでいると、秋風が日ごとに吹くので、そのたびにあなたを思い出します、という趣旨。当時久邇の宮に住んでいた家持が、奈良にいる坂上大嬢に向けて詠んだ歌である。上の二首が、妾を失った悲しみを歌っているのに対して、これは正妻の坂上大嬢を思いやっての作。

巻十には、風を詠むと題した歌が三首並んでいる。次は、その最初の一首。
  恋ひつつも稲葉かき別け家居れば乏しくもあらず秋の夕風(2230)
家を恋しく思いながら、稲葉をかきわけて収穫小屋に潜んでいると、しきりに秋の夕風が吹くわい、という趣旨。家居といっているのは、稲の収穫期に臨時に建てられた作業小屋のことをさす。乏しくもあらずとは、すくなくもなく、しきりに、という意味。恐らく作業小屋でのさびしいたたずまいを詠んだ歌であろう。

次は三首のうちの二首目。
  萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く(2231)
野辺には萩の花が咲き、ひぐらしのなく声が聞こえる、そんなところに秋の風が吹き渡ることよ、と言う趣旨。素直で、飾りのない詠いブリである。

次は三首のうちの三首目。
  秋山の木の葉もいまだもみたねば今朝吹く風は霜も置きぬべく(2232)
穐山の木の葉もまだ色づいていないのに、今朝吹くこの風で、霜が降りたことだろう、という趣旨。風の冷たさを詠んだのだろうと思う。もみつは、色づくという意味。これが名詞形になると、モミヂ。

巻十秋の相聞から、風に寄せる歌一首。
  我妹子は衣にあらなむ秋風の寒きこのころ下に着ましを(2260)
我妻が衣であったらよいのに、そうすれば秋風の寒いこのごろには、妻を衣にして着るものを、という趣旨。妻を衣に見立てているところが面白い発想だ。

次は、秋風の寒さに恋人を思い出す歌で、やはり恋人の暖かさを意識したものだ。
  よしゑやし恋ひじとすれど秋風の寒く吹く夜は君をしぞ思ふ(2301)
よしままよ、恋するのをやめようとするのだが、秋風の寒く吹く夜には、お前のことが思われてならないのだ、という趣旨。

最後に、秋風の歌の代表として、額田王の次の歌をもういちど鑑賞したい。
  君待つと我が恋ひ居れば我が宿の簾動かし秋の風吹く(488)
秋風が恋人と結びつくのは、恋人の暖かさを連想させたからだろう。この歌は、それをさりげなくほのめかしているようだ。





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