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令和の出典は万葉集


元号令和の出典は万葉集である。万葉集巻五、「太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首」の序文からとられた。この宴は梅花の宴として知られているが、それに漢文の序文が付されている。それは次のように書きだされる。

「天平二年正月の十三日、帥の老の宅に萃(つど)ひて、宴会を申ぶ。時に初春の令月、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫(くゆ)らす」

この序文の中から、令月の令と,風和らぐの和とを組み合わせて令和としたものだ。令月の初春に気持ちやわらぐ風が吹くような、そんな穏やかな世であってほしいという願いを込めたものか。従来の漢文からの出典という伝統にあっては、二つの漢字が近接した熟語からとられるのが例であって、そのひそみに倣えば、むしろ淑和のほうが相応しいのであるが、そこは出典を国書に求めたこととあいまち、従来の伝統に縛られず、和風を尊重しようという、今の保守政権の思いから出たものだと思う。

この元号の意義を、時の総理大臣が得意げに語っていたが、その言うところは、「うるわしい調和を意味する」というようなものだった。これは出典の内容を棚上げして、漢字の文字通りの意味から解釈したようであるが、令という漢字には「うるわしい」という意味はない。また、和という文字にもっぱら秩序という意味を持たせようとの意図が感じられるが、和には平和という意味をかぶせるのが自然ではないのか。

令月は、旧暦の二月を意味する中国語だ。だがここでの梅花の宴は、正月に行われたということになっている。だからこの文章の作者は、令月を二月という意味では使っておらず、別の意味で使っているのだろう。ともあれその令月を元号に含ませるのか、よくわからぬところがあるが、そこは時の総理大臣の意向が強く反映したのだろうと思う。令和の元号制定過程では、時の総理大臣の意向が深く反映されているといわれ、そのことから、そこに強い政治的な意図を感じる見方もある。元号というものは、非政治的であってこそ大多数の国民に支持されるのだと思うので、政治的に利用されるのは良くないことだと思う。




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