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大伴家持


大伴家持は、万葉集の編集者として擬せられているとともに、自身も偉大な万葉歌人の一人であった。かれの歌は、万葉の世紀の最後を飾るものであり、その歌風は、万葉のおおらかな歌い方と、古今集以後の歌との橋渡しをしている。歌のモチーフは多岐にわたっており、数も多い。万葉集全二十巻のうち、まる四巻は彼の歌を集めたものである。万葉集は、高級官人としての大伴家持が、宮廷に伝わっていた歌集を中核にして、彼自身が集めた歌集、たとえば防人の歌といったものや、自分自身の歌を収めた歌集を加えて、最終的に今日あるような形にまとめたのだろうと考えられている。

大伴家持は、大伴旅人の子として名声高き武門の家に生まれた。その家には、なぜか風雅を愛する人たちが輩出し、家持にも大きな影響を与えたらしい。家持は若い頃から歌を作っていたのだが、それは叔母の坂上郎女はじめ、一族の歌好きな人びととのやりとりを通じて研鑽されたのだと思われる。家持は妻も一族から迎え、一族に対しては門閥の長として強い責任感をもっていた。有名な「族を諭す歌」は、そうした一族への家持の気持を歌ったものである。

また、大伴家持は武門の長として、また朝廷の藩屏として、天皇への忠誠心が強かった。有名な「うみゆかば」の歌は、そうした家持の天皇への忠誠心を歌ったものだが、それが先の戦争に際しては、日本人の天皇への忠誠心を高める材料として利用されたことは、家持にとってどんなふうにうけとられただろうか、興味深いところである。

大伴家持は、古代最後の歌人として、古代人らしいおおらかさを感じさせる一方、自我意識がもたらす繊細な感性ももっていた。むしろそうした繊細な感性を感じさせる歌に秀作が多い。たとえば、「うらうらに照れる春日(はるひ)に雲雀あがり心悲しも独りし思へば」といった歌は、万葉ぶりというよりは、すでに古今集の世界を感じさせる。

大伴家持の文学史上の業績としては、全国から防人の歌を集めたことがあげられる。このおかげで我々日本人は、古代の庶民が歌に詠みこんだ素朴な感情を知ることができるとともに、古代の庶民の暮らしぶりの一端を知ることもできる。防人の歌は、歴史を研究する上での貴重な資料でもある。

ここでは大伴家持の代表的な歌を取り上げて、鑑賞しながら適宜解説を加えたい。





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